領主の独白


口に出すか出さないかはともかく、俺は正直な人間だと思っている。

「恋、ね」

積み重なった書類を見つめる。これでも今日の分は半分以上終わったはずだ。関税の見直し、様々な報告書、奴隷制度への提案──具体的には、「現在の奴隷の待遇をさらに劣悪なものに落すべき」といった住民からの要望。

現在の奴隷は、法的な立場としては平民とそこまで大差ないものである、はずだ。
奴隷への商品物はたしかに一割増の値段で売られるが、労働に関しては平民と同じだけの報酬が与えられる。奴隷を奴隷たらしめているものは、およそ周りの平民たちの意識だ。
「奴隷は虐げられるべきものである」「平民に使われる存在である」という、まるで自尊心を保持したいがための平民意識。

俺はと言えば奴隷自体に興味はない。特に野蛮な習性をもっているわけではないし、ただ少し貧しいだけで他の平民と同じようなものだ。無理に虐げることはないと思うが、別段その意識格差をどうにかしてやろうという気もなかった。

「──飽きた」

いい加減座り仕事も疲れが入る。気晴らしに散歩でもしようとペンを置き、立ち上がったところで部屋の扉が叩かれた。

「入れ」

「失礼しまーす。あ、領主様。今ねー、桜桃もらったんですよ。種なしですって。食べます?」

黒髪の少年が無邪気に笑う。いつも思うが、どう聞いても目上の者に対する口の利き方ではない。

「お前にモノをやる物好きな奴がいたのか」
「うーん、まあ俺宛っていうか領主様宛? 側仕えだからって渡されました。側仕えじゃなくてただのそうじ係なのにねー。」
てこてこと俺の横にやってくると「はい」と桜桃の茎を持って一つ差し出してきた。
ふーん、とそれを受け取る。

ぷち、と実をもぎり、

「梓、口を開けろ」
「へ? あー・・・むぐっ」

少年の口に押し込んだ。

「なんですか、いらないんですか」
「後で食べる。今は外に出たい」
「あっそう。疲れたんですか?」
「そんなところだ」

桜桃を押し込んだ手のまま、少年の口をもてあそぶ。少し濡れた唇をなでると、既に実を飲み込んだらしい彼はそのしぐさに顔をしかめた。

「何してんですか。」

言いながらも退けようとはしない。こいつは俺に雇われる使用人。そして使用人は主人には逆らえない。
今までも言葉でたしなめられることはあったが、本気でこいつが俺に抵抗したことはない。(俺もそんなに強要することはなかったと思うが。)
生意気そうでいて案外身分をわきまえている奴なのだ、と最近はわかってきた。

「ちょうどいい、お前もついてこい」
「はい?どこに」

問いには答えず手で誘う。梓は怪訝そうな顔をしながらも、俺に従うことにしたようだ。


この少年──梓は、奴隷だ。少し前に侍女として紛れ込み、領主である俺を騙そうとした肝の据わった奴隷。
十七歳という子供と大人の狭間ともいえる年齢の彼は、子供のような無邪気さを持ち、色香のある夜の顔を持ち、女に扮することもできる、多彩な少年。
自らを美しいと自称し、その容姿をもって俺へいたずらという遊び(本人いわく、「リスキーゲーム」)を仕掛けてきた大胆な子供だ。

「へえ、花がキレイですね」

屋敷の庭園。色とりどりの花や草木が庭を彩る。手入れをするのは何人かの侍女。くるりと見渡すと、枝の始末も十分に行き届いているようだ。仕事に責任を持っているようで何より。

あたたかな陽の下を、花の周りを、梓は興味深そうにくるくるとまわる。花を見たことがないのだろうか。

「奴隷はあんまり屋敷を探索しちゃいけないかなって思ってて、ここもじっくり見れたことはありませんでした。キレイでいーところだ。
領主様、花が好きなんですか?」
「花は美しいが、女ほどには惹かれないな」

梓は一瞬黙り、こちらを軽蔑するように見た後、

「はあ・・・これだから女好きは」
と言い捨てそっぽを向いた。


しかし最近は、と頭で思う。

ここは俺の部屋ではない。他の侍女も聞いているかもしれない場所でこの少年との関係を口にするのは危ない。
部屋の中でのみ結ばれる特別──いや、奇妙なというべきか──な関係を知られるわけにはいかない。

(まあ勘づいてる侍女もいようがな)

梓に桜桃をくれた者は彼のことを「領主の側仕えなのだから」と言ったらしい。もちろん表向きは梓の言う通りただの掃除係で、午前の間俺の部屋に出入りするだけの使用人だ。だが、それだけではない。
梓もそのことはわかっているはずだが、それに関してはおくびにも出さない。こいつにとっては「夜の自分」と「昼の自分」は別のものなのだ。
夜は男娼としての自分。仕事と割り切り、俺という客に抱かれるだけの商売に過ぎない。

しかし昼のこいつでも夜の出来事は覚えている。
身売り業をやっているだけありそちらへの耐性は大したものだ。大抵の女が恥じた顔を浮かべるような会話にもこいつは淡々と受け答えをする。
それなのにひとつだけ年相応の恥じらいを見せる、弱点ともいえる部分がこいつにはある。


「梓」
「はい?」

美しい花に囲まれる美しい少年。かわいい目がこちらを向いた。
近寄り、頬に口を落とす。

瞬間、梓は飛び跳ねるように後ろへ退いた。

「ばっ・・・、ばかですか!? なにするんですこんなところで!!」

ほら、赤くなった。



「──お前、女じゃないだろ」

夜伽をさせる女が少女に化けた少年だと気づいた俺は、そう言い放った。
特に食い下がる様子もなく「あーあ、」とでも言いたげに少女だった少年は正体を明かした。

なんだこの子供は、と思ったものだ。多少腹も立った。

少年はいたずらな笑みを浮かべながら、自信にあふれた、それでいてどこか自虐的な言葉を語った。

「土臭いかもだけど、顔はきれいでしょ?」
「奴隷の命なんて大したことないし、いいじゃないですか。」

元より奴隷に興味のなかった俺は、「そうだな」とどうでもよく返すほかはない。
口では自らの境遇を嘲りながらその瞳には確かな意志を見た。

この少年は、「生きている」。

奴隷でありながら、その境遇を受け入れながら、その中で全力で楽しんで生きている。
思い返せば何ということはない。おそらく偶然が繋がっただけなのだろう。

俺は夜の相手をさせるために美しい女を集めていた。そこに美しい少年が来た。
身分などさして気にも留めなかった俺は、興味本位で、はたまた気まぐれでそいつを受け入れた。


少年は美しかった。いや、美しいというにはその容姿は幼すぎるが、その精神と併せて俺は「美しい」と評したい。
口は悪く目上の者に毒を吐き、領主の言うことには従えど反抗心は隠そうともしない。
“演技”をしている時でさえ少年の本性は言葉の端々に表れる。どこか嘘くさく、「お前なんぞに服従などするか」という野生の如き警戒心だ。

(そう、美しいのだ)

逆境に負けないのではない。社会の圧力に折れないのではない。
彼は一本の針金のようにまっすぐと立つ者ではない。受け入れ、かわし、その心はしなやかに生きる。

「奴隷だから」と自嘲することはあっても「奴隷だから」と卑屈になることはない。
「自分は仕える身だから」と命に逆らうことはなくとも理不尽を受け入れはしない。そして理不尽を許さない雰囲気が少年にはあった。

強くはない。弱くはない。ただ、しなやかだ。


何かが変わったのはそのあとだ。あの日、少年の傷を手当てをした日。
美しいと思っていた少年は、突然十七歳の”こども”になった。
屈託のない笑顔。それまでの彼はいたずらに笑うか、冷淡に嘲るだけだった。
なのに、そんな顔もできるのか。

少年にはまだ奥がある。こいつで遊んでみよう、と俺もまた子供心のようなものだった。


だが、まあ、なんというか。
少し手をひっかけたつもりなのが、すっかり絡めとられてしまった気分だ。


初めて少年を抱いた夜、いや買った夜。気づけば俺はあいつの表情ばかりをみていた。
“どんな役にでもなりきりますよ”と言ったあいつは、たしかに俺の要望(というか試しに言ってみただけだったのだが。)にうまく応えた。
だが最中に気づく。あいつは、俺が口づけを落とす度にほんの一瞬だけ「男娼」から「少年」の顔に戻るのだ。演技が抜け、刹那の間だけ生娘のような恥じらいの顔を見せる。そしてその一瞬が抜ければまた元の「役者」へと戻る。

考えてみれば当然だった。梓は「この処女(くちびる)を守っているから俺は男娼でいられるんですよ」と言ったのだ。ならば当然キスには慣れていないし口と口を合わせることなど未経験だろう。
なまじ他の世話が達者な分、口づけに対する反応はより浮いて見える。そこには十七歳の少年の顔が現れる。俺はその顔に一段と惹かれた。

素顔が見たいと思ったのだ。

普段のこいつの生意気なような振る舞いは、奴隷として生き抜くために身につけたすべだったのだろう。本当の自分を隠すためでなく、しなやかに生きるための鎧として。

もしかするとこれはただの出来心、いたずらのような気持ちだったのかもしれなかった。だが俺はこいつを使用人として正式に雇っているし、夜の方にも金は払っている。何も不当を強いているわけではない。
特に深く考えることはない。ただこいつの鎧の下が見たいがため。


───あの昼下がり。

梓がぽつりと零したのを俺は聞いていた。


「特別じゃないでしょ? オモチャだって言ってよ。
認めたくないんだよ、あんな顔の一つでさ。」


あの声はなんと表現すればいいだろう。自分に言い聞かせるようでいて俺に問いかけるような、少し震えそうな切ない声。

(──ああ、オモチャだろうな。おまえが俺に応えなければ。)

しかしそれを言うことはできない。それでは応えてくれと言っているようなものだ。


まだ現状を動かすことはできないのだ。俺が領主のままでは。おまえが奴隷のままでは。
金を置いたその上からでしか手は出せない。部屋の中でしか、ベッドの上でしか名は呼べない。

こいつはどんな気持ちで俺のそばにいるんだろうか。自らを奴隷と強いる「領主様」を嫌っていたこいつは、俺という人間をも嫌っているだろうか。
あるいは身分の垣根を越えたくなっている自分と、奴隷を奴隷として虐げない俺を、不当だと恨んでいるだろうか。

何も訊くことはできない。語れるのは瞳だけだ。いつかこいつが何かを言いそうになったとしても、"その時”がくるまでは俺はその口をふさがなければいけないだろう。


「──へっくしっ」
「ん、寒いか?」
「そうですね、ちょっと冷えてきました。
 気晴らしにはなりました? もう戻りましょうよ、領主様」
やれやれと梓は自分の腕を温めるようにさする。辺りを見れば、そろそろ日が暮れそうな空だった。

・・・・・ああ、やはり自分は秘密の恋など向いていない。

自身の外套で目の前の少年を覆い隠すようにすっぽりと腕の中に包んでやる。腕をまわした瞬間、梓の体がこわばったのを感じた。彼の背は低い。頭は俺の胸あたりまでしかなく、ゆえに表情は見えなかった。

「ここから屋敷に戻るには少し距離があるからな。片道もつだけの暖を取るといい」

もちろん半分は口実だ。触れられるのが夜だけなんて寂しいことがあるものか。それに夜の俺が触っているのは梓ではない。梓という役者が演じている何者かだ。
小さな体を抱きしめながら、ぼうっと目の前の花を見つめる。正直手を出したいが、こんなところで声を出されては人目にさわる。
体だけでなくその中身も楽しみたいと思ったのはいつぶりだろう。それも飽き性な俺のこと、そのうち忘れてしまうかもしれないが。

それほど長い時間ではなかったと思う。一分もなかったはずだ。会話もなく止まった時間が流れていたが、ふいに梓が声を出した。

「・・・・つい」
「ん?」
「あつい。」

す、と腕の力を緩め梓の顔を覗く。

「・・・真っ赤だな」
「領主様の体温が高いんじゃないですか! ていうか苦しいんですよ!
俺のことはいいから早く行きましょうってば。どうせ仕事たまってるんでしょ」

まあ、間違ってはいないが。

梓はすたすたと元来た道を帰っていく。侍女たちに何か言われては困るから、あまり俺の隣を堂々とは歩きたくないのかもしれない。そういえば屋敷内で俺が声をかけるときも、こいつはいつも何か警戒している風だったな。
今の間何を考えていたのか聞いてみたかったが、まあ答えはしないだろう。

(つれない奴め)

これも俺が明確に言葉にしてやったなら何か変わるだろうか。オモチャではない、と。そう言ってやったならこいつは今とは違う反応をするのだろうか。

だが今それを言ってもどうしようもない。それは俺の首を締めてこいつの立場をさらに悪くさせるだけだ。今はまだ、言葉にできない関係を続けるほかない。
せめて今できることは、伝えられる状況になった時にこいつが俺の横にいるようにしておくことだ。いや、いっそのこと梓にだけ全部伝えて、「待っていてくれ」と頼んだ方が繋ぎ止めておけるだろうか。
そもそも俺自身どうなりたいのかすら考えていない。今の関係のままもう少し互いに気持ちを話せるようになればいい程度のもの。
少なくとも梓が、寝入った俺にでなければ本音を話せないような今の関係には不満がある。ああいうことをされるとじれったくて仕方がない。
俺は手の届かないものを追いかけるのを楽しんでいるのだろうか。手に入れたらどうでもよくなるのだろうか。


梓の心を奪い、唇という処女を手に入れられたらそれで満足してしまうのだろうか。


先へは行ってみなければわからない。だが慎重にもなる。なにせ立場が立場だ。

(女で遊んでいる身で言えたことではないか)

体はすぐ許すくせにキスに恥じらう、切ない声で本音を語るいじらしい少年と、もうしばし楽しむことにしよう。



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