drink*drank


 この国では18歳から飲酒可能である、と法律が言っている。だがあまり厳しく法は働いておらず、「18歳になる前に酒は嗜んでいた」という者が多い。さすがに酒場の店主が18歳未満に酒を勧めることはしないが、酒場には18歳未満でも入店可能なので、時たま17歳以下の少年少女が酒を飲んでいたりすることもあるらしい。(もちろんバレた時点で酒は没収だが。)
酒は飲みすぎなければ人を陽気にさせてくれるものであり、コミュニケーションの一策であり、まあこの国の人には外せないものなのだ。

しかしこの男…ウェルナーはどうやら酒に弱いらしい。私とウェルナー(とモーディ)が受けた仕事の依頼人が酒場で待っている、ということで酒場に来たのだが、17の私が酒以外を頼むのはもちろんとして、20歳のこの男、来るなり「水でよろしく」とメニューも見ず言った。依頼人のオジサンはウワバミらしく、すでに酒瓶を3本あけてイイカンジに出来上がっていた。

報酬金額、(今回は採集クエストだったので)目的の品、入手経路などを確認しメモして依頼人との交渉は終わり、オジサンは「じゃあよろしくなあ!」と──おそらく酒が入っているせいだろう──嬉しそうに酒場を出ていった。
メモを胸ポケットにしまったウェルナーに私は訊いた。

「あなた…お酒全く飲めないの?」

この国で下戸が珍しく、またそれが格好よくないと言われているのを承知しているのか、少しきまり悪そうに「ああ。」とだけ返してきた。
ウェルナーは色々な仕事を請け負ってさらにそれを確実にこなしてくる、ということで信頼が厚く、顔が広い。ここの酒場の店主とも顔見知りらしく、私の問いかけが耳に入ったのか、店主が横から茶々を入れてきた。

「お嬢ちゃん、そいつは全くダメだぜ!度数の低いのでも一杯飲むとグロッキーになるんだ!」
「うるせー、別に飲めなくたって仕事や生活に支障はねーからいいんだよ。」
「だがこの国の生まれで酒が飲めねーってのはなあ!お前もう二十歳だろう?これから苦労するぜえ」
ガハハ、と陽気な笑い声をあげ、小さな瓶を2本手に持ちこちらのテーブルに寄ってきた。
「もっと歳を食えばなあ、嫌なことや忘れたいこともたぁくさん増えてくるんだ。酒の力を借りてでも忘れたいことがな。
それにお前はあまり愚痴を垂らさないだろう、溜め込むのもよくねえよ。少しずつでいいから慣らしていきな。」
「何も忘れるつもりは無いな。胸くそ悪い事も血反吐を吐くような痛みも全部墓まで持ってってやらぁ。」
「そりゃあ怨霊でも出そうな墓になりそうだな」

店主は言いながら小さなグラスに果実酒を少しと、水と氷を入れて割酒を提供してきた。
そうしたらウェルナーが、見て分かるほどに顔をしかめたので私は少し笑ってしまった。この人、なにも顔に出さないことが多いのに。

「そんな嫌そうな顔しなくても。よほどお酒に縁がないみたいね?」
「ああ、全くな。このオヤジがさ、前に俺の酒嫌いを治そうとして、ジュースと偽って果実酒を持ってきたことがあったんだが…」
その時を思い出してか、舌を出して苦い顔を見せた。
「ああー、ありゃあすごかったなあ。酒を1口飲んだとたんこいつ顔真っ赤になってな、酒って気づいてからすげえドスの効いた声で剣を俺に向けてきてな。」
「えっ、店内で剣抜いたの!?」
「抜いちゃいねえよ、鞘に収めたまんまこっちに向けたんだ。いやあ殺気を感じたねありゃ。」
「俺が酒飲めねえって知ってやがるのに強いの入れてきたもんだから。本気でぶん殴るつもりでカウンターに行こうとしたんだが」
「たどり着く前にぶっ倒れてなあ。しょうがねえから裏に連れてって介抱してやったんだよ。」
「翌日頭は割れるように痛いわ吐くわでほんっと最悪だったよ。仕事が入ってなくてよかったけどさ。」
「そ、それはご愁傷さま…で、このグラスに入ってるのは?」
すすす、とウェルナーがこっそりよけたグラスを、店主は思い切りどんと目の前に置いた。
「今度のは度数の低いやつだ!さらに水で薄めてあるから相当アルコール弱いはずだぜえ。飲んでみな、スイ。」

スイはウェルナーのファミリーネームのようなもの。私は初めに聞いた名前が「ウェルナー」だったのでウェルナーと呼ぶことにしているが、街の人は大体スイと呼ぶらしい。
ウェルナー・スイは渋々といった様子で、
「先に言っておくが、俺は酔ってるあいだの記憶はトぶからな。なにしても責任は、酒を飲ませたオヤジにあるからそこんとこよろしくな。」
「おお介抱なら任せておけ。ゲロの1つや2つ、酒屋の店主なら大したことねえぜ!」
ぽつり呟かれた「吐く吐かないの問題じゃねーんだけどな」というセリフは私にしか届かなかったらしい。ウェルナーは店主の言葉を聞くと、グラスを掴み、グイッと一気に飲み干した。
でも、グロッキー状態になったらかわいそうだなあ。止めてあげた方が良かったかしら。
そうは思ったがもう遅い。私はまだ半分残っている自分のオレンジジュースにちびりと口をつけた。
「どーだ?」
「オヤジ、度数の低いってさ…これ、お前ら基準の…」
ウェルナーは飲み干した直後うっと息を詰まらせそのままぐらりとこうべを垂れ、そして何かに耐えるようにじっと動かなくなった。
「だいじょうぶ?気持ち悪い?」
彼の肩を軽くゆすり、私も話しかけてみた。が、何も言ってくれない。
店主はニコニコとウェルナーを見つめている。
「だめね、これは」
肩にかけた手をどけた瞬間。
なにかに後頭部をガッと掴まれたとおもったら、そのままテーブルに頭を叩きつけられ、があんと強い痛みが走った。
「!?スイ、おめえ彼女になんてことしてやがんだ!」
ちかちかする視界と痛む頭の隅で、「ウェルナーに叩きつけられた」ことだけは認識できた。「彼女じゃない」と訂正したかったが脳が麻痺して口が開かない。
「お嬢ちゃん平気か!?ってうお、なんだスイ!エモノなんかだして、ここで乱闘騒ぎでも起こすつもり…」
店主の言葉を遮るように、店内にどんがらがっしゃんと大きなものが散らかる音が響いた。
どうやら思ったより私の身体は頑丈だったようで、テーブルに頭を激突しても気を失うことはなかった。1分ほど悲鳴怒声歓声、そして破壊音の混じった音をじっと聞いたのち、体を起こすことができた。
「…痛い」
額を軽く撫でると、ぬるりと血がついた。あいつ、本気でやったな。
垂れた血が目に入るといけないので、アームウェアをひとつ外して額にあてる。店内を見回すと、壊れた木箱や割れて散らかったビンが大量に散らかっており、わあわあと騒ぐ客たちが店の真ん中を囲うように立ち並んでいた。
「まさかウェルナー、だれかと喧嘩を…、て、店主!」
ばっとカウンターを振り返ると、投げられたあとのようなテーブルの下に、店主らしき肉付きの良い下半身が見えた。
なるほどさっき聞こえたとんでもない音の正体はこれか。テーブルをどけるとそこにいたのは予想通り、気絶した店主だった。
観衆たちはなにを見て騒いでいるのか気になって私も野次馬の層に入ってみると、ウェルナーと、大層なひげをたくわえた酔っ払っているらしい屈強なオッサンが向かいあって臨戦態勢に入っているようだった。
それを囲う男どもは「いいぞやれやれえ」とはやし立て、弱気な女どもは手を口に当てて「大丈夫かしら、怪我とかしないかしら」なんて囁いてる。
だったら止めてやりなさいよ、と思いながらウェルナーの様子を窺った。

「………笑ってる」

というか、不敵な笑みだ。私はまだウェルナーと出会って間もないが、笑顔なんて1回見ただけだし、戦いの場で楽しそうにしているところなどは1度だって見たこともない。
少し上がった心拍数は置いといて。とにかくウェルナーを止めなければほんとうに店が壊れそうだ。ひいては店主のオヤジさんが明日泣くことになりそうである。
「ちょっとウェルナー!」
こんなにたくさんの一般人がかたまった場所で私の武器、鎖鎌は危なくて使えない。最悪気絶させてなんとかしようと、ウェルナーへの復讐の念も込めて近くのテーブルの上に転がっていた酒瓶を手に取った。
「なんだ嬢ちゃん、こっからいいとこなんじゃねーか。邪魔すんなよ!」と私の腕を引っ張ろうとするオヤジを抜け、「ちょちょっとあなた!あぶないわよ!」と引き止めるオバさんを抜け、後ろ手に瓶を構えてウェルナーの横に立った。
「ウェルナー、やめなさいってば!」
私より頭一つ背の高い彼。肩をぐいとつかんでこちらを振り向かせる。
「んん?なんだ、カローナじゃねえか。なんか用?」
いつものウェルナーではなかった。頬は紅潮し、とろんとした目でこちらを見やる。酔っているとはいえ、レアな笑顔でこちらを見ないでほしい。
しっかりと目が合ってしまってつられて顔が熱くなるがいまはそんな場合じゃない。緊張で舌がもつれそうになるのを耐え、
「こんなとこで暴れるんじゃないわよ!けが人がでたらどうするの?!ていうかもうけが人でてんのよ!これ以上被害が出る前に帰るわよ!」
と左手で腕を引っ張った。
右手には瓶。喧嘩始めたらぶん殴ってやるわよ、と心の中で深呼吸。
私の手を払って乱闘を続行するか、舌打ちをして私に手をひかれるかのどちらかと予想していた私は、だから次のウェルナーの行動で完全に気を取られた。
「ははは」
柔らかく笑ったと思ったら、剣を持っていない彼の左手が私の頬を優しく撫でた。
「なっ」
「おまえさあ、こういうスキンシップによえーだろ。その右手の物騒なもん捨てなぁ。」
こんな状態でも酒瓶の存在には気づいていたのか。
顔が近い。その距離15cm。殴る覚悟がどっか行ってしまった。
本気で酔っ払っている、この男。普段だったらこんな風にわたしをからかうことはしないし(むしろスルーされる)、ていうかあなただからこんな指一つで固まるんだ。
ウェルナーはそのまま顎をつ、と指で沿い、
「よく見たらデコ怪我してんじゃねーか。先帰りな。頭冷やしたほうがいいぜ」
と踵を返して元の位置に戻って行った。あのヒゲ男と喧嘩するつもりだ。
からかわれた恥ずかしさと、周りの観衆がヒューヒュー口笛を鳴らしているのとで少し腹が立って、こちらに背を向けている酔っ払いウェルナーに思い切り叫んでやった。
「これは!さっきあんたにやられたキズよ!」
あなたたち目をつぶりなさい!と野次馬どもに声をかけ、ウェルナーの首の後ろ目掛けて酒瓶を振りかぶり、全力で叩きつけた。
やはり酔っ払い。酔ったら反射が速くなるとかそんなことはなく、私を振り返ることなく殴打をくらった。
ぱりいん、と瓶が割れて飛び散った。せめて破片が目に入らないように目をつぶったが、頬が切れて血が流れるのを感じ、酒瓶じゃなくてほかの武器にすればよかったなと少し後悔した。
ウェルナーは元々酔いのせいで眠気が来ていたのか、殴打の衝撃の後どさりと床に突っ伏したのだった。

「……頭が痛い」
「二日酔いでしょ」
明くる日。彼の住まいに様子を見に行くと、気分悪そうに唸っていた。
「あーちくしょう、やっぱり記憶がない。俺酒飲んだ後何してた?」
「酒場に行ってみなさいよ。たぶんまだ昨日の有様のままよ。私はちょっと気絶してたから一部見てないけど、あなた暴れまくったんだから。店主さんなんかはあまりの惨状に泣いてるんじゃないかしら。」
「ああ…ま、そうなると思った」
「なに、わかってたの?」
「予想はついてた。親の酒癖も悪かったし、今までも酒飲んだ後気が付いたら色々散らかっていたりな」
散らかっていた、なんてレベルじゃないと思うのだけど。
「オヤジには責任とらねーって言ったけど、ちょっと気になるな。あとで見に行くか」
「ね、昨日飲んだお酒、度数の低いやつだったんでしょ。それだけであんなんになるなんて、お酒って怖いのね」
「あー、お嬢さんはまだ飲んだことないんだっけ。昨日オヤジが出してきたやつはな、ザル連中にとって『弱い』レベルの酒。俺みたいな奴には強いの。まあ、前に出されたやつよりは弱かったけど。
だから、もうちょっと弱いやつだったら俺もまともに飲めるかもしれないな。飲みたいとは思わないが」
なるほど。とても強いお酒だとグロッキーになって、少し強いお酒だと喧嘩っ早くなるのか。今度酒場に行った時、弱いやつも飲ませてみたいわね。
いつも巻いているバンダナも今日はしていなくて、黒のインナーとルーズなズボンでベッドに沈んでいる彼は新鮮だった。
どうやら頭が痛いらしく枕に顔を押し付け、うつ伏せになったらもう動かなくなった。

しょうがないからあとで水でも持ってきてあげようかな。


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